平成元年に独立したのですが...
はじめは、声をかけてもらった会社の専属のSEとなりました。
独立に不安があり、つい安心を選んでしまった
独立しようと考えるより、
今の会社を早く辞めたいというのが本音でした。
何をしようか具体的な計画はありません。
ただ、それまでやってきたSEの上流工程を専門にやろうと
ぼんやりと考えていたので、その延長にある仕事をイメージしていました。
数年前に独立していたソフト会社の社長から声をかけてもらいました。
「うちの会社に来てよ!、専属の外注でいから!」と
年月単価の提示もあり、渡りに船と誘いに乗りました。
早く辞めたいという気持ちが強かったんです。
とりあえず月々の売上は安定するからイイかなと思いました。
まったく計画性なしです。
まあ、ちゃんとお金はもらえていたんですが...
まったく面白くない。
後から考えると、会社員と同じでした。
やっぱり、独立にはある程度の計画性は必要です。
1社依存の悲惨な現実を知る
そこの社長は、地元の中では比較的大きいソフト会社の下請け仕事をしていました。
それも、その会社1社だけに依存していました。
殺生与奪権を握られていると言うか...
発注元の部長も、そういう人なので..
その社長は、発注元の部長の誘いには100%参加です。
ゴルフだ、飲み会だといつも一緒に行っていました。
要するに、体のいい財布ですね。
あま財布になっても、それに見合う発注をもらっていたので、
それもできたんだと思います。
こうなったらダメだと感じました。
これじゃ、まったく独立の意味が無い。
「この社長、いつまでこんなこと続けるんだろう?」と感じました。
自分も独立して、これじゃ何の面白さもない。
独立の意味が無いと感じた体験です。
その会社の社長も、独立するときは何らかの「想い」はあったとはずです。
覚えていませんが、飲んだ席で熱く語ってたように思います。
でも、お金のために元請けの部長の遊びのための財布になっているんです。
1社に大きく依存すると...会社員よりも悲惨です。
いつまでも、財布になれるくらいのお金を上乗せしてくれる保証はありません。
まあ元請け部長からすれば、いくら支払っているか分かっているので
生かさず・殺さず、甘い汁を吸っていると感じなんだと思います。
問題なのは、納得できない要求をはねのけられないことです。
一社に依存してしていると逃げられません。
たくさんの会社と取引できる自分になることが必要です。
そんな社長の下で働くのは、ホント面白くない。
社長本人も、面白いとか手応えを感じているとか無いようです。
専属のSEとなるとき、口約束で「とりあえず1年くらい」と言う
アバウトな約束で参加したのですが、ホントに嫌になり
半年ほどで辞めました。
ここから長い自営生活が始まりました。
世のかなには、いろいな人がいます。
間違いなく言えることは、1社依存の自営業ではダメだということです。
これなら労働法で守られている会社員の方がはるかに楽です。
一つの取引先に、頼り切ってはいけないと実感した体験でした。
結局、そこを辞めました
専属のSEとして、「とりあえず1年くらい頑張ってよ」と言われていたのですが、
さすがに面白くなく、まったくやりがいがありません。
8ケ月ほどで、辞めさせてもらいました。
お金のためだけに汲々として働くのは辛いです。
何ために、どう働くのかをしっかり考える必要があると思います。